平成日本の現代史をひと言で表すと、「失われた30年」である。30年前、日本は輝いており、自信に満ち溢れていた。日本中の地方で、自動車、家電、半導体、通信機の工場がフル稼働していた。平成元年(1989年)を例にとると、図に示すように、世界企業の時価総額ランキングベスト50社の第1位のNTTをはじめ、当時の日本興業銀行、都市銀行が世界の上位にいて、32社がランキングしていた。しかし、30年が経過した平成30年(2018年)は、ベスト50社中にランクインしている日本企業は、35位のトヨタ自動車だけである。一方、中国企業のランキングは、30年前は、ゼロだったが、30年後に8社がランキングしている。
平成30年間の世界の時価総額ランキングの推移
「平成日本の失われた30年」をもたらしたものは、何だったのか? その根本原因について考えてみたい。多くの見方は、少子高齢化にあり、労働人口の減少が、GDP(国内総生産)の低下をもたらしたという。しかし、その見方は、正しくない。人口が減少してもGDPが増加している国はある。
私は、「平成日本の失われた30年」をもたらしたものは、「デジタル化への遅れ」と「一極集中」であると考えている。「デジタル化」とは、知的生産活動の共有・再利用による効率化にその本質があるが、これが実行されていない。次に、「一極集中」は、「分散」の逆の「集中」であり、後述するように、首都圏と大企業だけにヒト・モノ・カネの経営資源が集中しており、中小企業と地方が活躍していないことを意味する。換言すれば、国土と人口の大半が活躍していない社会を形成してきたことを意味している。
「デジタル化への遅れ」について触れると、デジタル化とは、行政機関、金融機関、企業、学術教育機関で発生する情報を紙ではなくデジタル情報として記憶し流通させ再利用することを意味する。特に、情報の流通と再利用のためには、デジタル情報を扱うコンピュータ・ネットワークシステム(インターネット)の相互接続性と相互運用性が、極めて重要となる。しかし、平成日本の30年間の間に、紙からデジタル情報への移行も、コンピュータ・ネットワークシステムへの移行も中国や欧米、イスラエル、シンガポール、韓国、オーストラリア等と比較すると極めて遅れてきた。
「一極集中」について触れると、一極集中とは、首都圏と大企業への一極集中である。首都圏に日本の3分の1の人口と経済活動の約半分が集中している。また、大企業は、企業数で0.3%だが、経済規模は約半分となっている。一方、隣国の中国は、デジタル化と、北京だけではなく、多くの上海、深圳、重慶などの都市の発展、さらには、起業が盛んで経済活動にダイナミズムが進展した。一方日本では、平成の失われた30年間にほとんどプレイヤーが入れ替わらず首都圏と大企業への一極集中が進んだ。このダイナミズムのなさが、日本のデジタル社会へ向けての課題である。
プロフィール
1954年、福岡県生まれ。京都大学理学部(宇宙物理学科専攻)卒。日本アイ・ビー・エム株式会社、日立エンジニアリング株式会社、株式会社アスキー等を経て、株式会社イターネット総合研究所等を設立し、現職。96年、東京大学より工学博士号を取得。現在、SBI 大学院大学学長(4月から)、東京大学大学院数理科学研究科連携客員教授。